悠久フィロソフィー

今ここから 改めますか

あらためも6:「選ばれなかったなら選びに行け」

せっかくブログをそこそこ長年やっているのだし、と、たまに時間があって気が向いた時には自分の過去記事をわざわざ読み返してみたりするのですが、ふむふむなるほど割と考えとるやないかい、とか、ああそういえばこのころはこんなこと考えていたなあ懐かしいなあ、とか、そういうプラスな感想を抱くことも、まあ皆無なわけではないのですが、それでも所詮「なくはない」程度の頻度で、自分の場合多くは目を背けたくなるような世間知らずの妄言を書き散らしていたりすることがほとんどで、わかりやすく言えば黒歴史ばかりというか、ロクな文章書いてないじゃねーかこいつ!みたいなツッコミを入れたくもなり、こんな駄文を書いたのは誰だ!と文句を言いたくもなり、ああそういえば自分だこれ、とその都度愕然とするに至るわけです。


数年前のカード考察記事を見返していたら「カオス・インフィニティでタングニョースト起動して云々」とかほざいてました。
無理です。タイミング逃します。アホか。「何が相性良いです」じゃ。アホか。アホか。


しかしまあ割とそういう間違いを見つけるのも実はけっこう好きだったりします。自分自身の内面の変化を楽しめます。考え方とか姿勢とか発想を振り返るのは大事です。
そういうことはネットに晒さずに個人の活動として勝手にやってろという話ではあるのですが。


とはいえ見方を変えればブログという媒体もじゅうぶん「個人が勝手にやってる」ものです。少なくとも私は目下そう解釈しています。
長らく不思議に思っていたりするのですが、ツイッターでは非常にフランクな方がブログ・ブロマガ等の記事を書く時には妙に改まって文章を書くような場合が散見されまして、あれに違和感がある。なんというか自分とは違うんだなというか。
理屈はわかります。ツイッターは思ったことを気軽に発信する媒体であり、また知人とテンポよく交流するためのツールであり、妙な気遣いをするとかえって円滑さを損なってしまう。一方でブログ記事は一度書いてしまうと揺るがないというか、しっかりとした一定の長さを持つ文章を書かなくてはならないのだからフォーマットからしてしっかりとしたものを作ろうという気持ちになる。というような。
自分はどちらかといえば逆です。ツイッターのほうが不可抗力的に他人の視界に入ってしまう可能性は圧倒的に高いのだから発言はかえって慎重になる。もちろん「書きながら考える」ために使う場合もあるのでその際はこの限りではありませんが、そういうのはだいたい見る人間が少ない深夜や早朝にやっている(だいたいたまたまですが)。そしてブログは、自分にとってはそんなに気を張る場所ではないです。かなり力を抜いてやりたいようにやっているのだと思っています。


元々が掲示板サイトの利用者で、あれもやはり自分の発言が意図せずして他人の目に触れる機会があるものであって、だからコメントにどこか限界と制約のようなものはうっすらと生じていたのかもしれないな、と今にして思わないでもない。
ただ冷静に思い返してみると、中高生の頃の自分がブログという形態を良いなあと思ったのは単に、自分の書きたい文章を書きたいように書くことができる・許される場であるというシンプルな理由だったからであるようにも思われます。
昔から単純に文章を書くのは好きなのですが、自分のテンポで、好きなだけ書くことができる、ということと、それがネットの1つのページを形成するのだ、という、ちょっとした創作の達成感といいますか、なんといいますか、そんな感じの要素が加わってブログというものを始めたいと思ったのかなというところです。
よく覚えてない(適当)


まあ、そういうわけで、ブログは比較的自分が思ったことを適当にダダ漏れさせる場として利用してきたのかなというところです。
そんな経緯があるので、ふとした拍子にツイッターに全ての思考内容の記述を持って行かれそうになったりもするのですが。
そしてそういうわけで、かつての自分が適当なことを言って後で自分で読み返してドン引きすることがあるのも仕方が無いのかなという気がします。
ちなみにこの理屈からは必ずしも「ツイッターに書きこむ文章は入念な推敲を施している」という結論にはつながらないのでそこは悪しからず。あっちもあっちで大概どうでもいいこと書いています(


で、何の話かというと昔のブログ記事を読み返して云々だったわけですが、今からちょうど1年前くらいに書いたことをちらほら見返していまして、良いデッキとは何だ、面白い動画って何だ、とかぼやいていました。
1年経っても結局きちんとした回答どころか方針や展望すらまとまっていませんし、何が何やらそんな簡単にわかるもんでも無いわな、と思いますし、そんなもんなんだろうなと納得しつつあります。
当然ながらこの納得を理由に考えることを諦めてはいけないのだろうなとは思いますが、今や動画もやってないしオフにもろくに行けなくなりそうだし、という状況になってくると、何も関わりの無いドパンピーが何を言ってもなあ、とか思ってしまうこともあるものです。
自分の一番のミスは動画界隈に最後まで馴染めなかったことであるように思っています。デュエル動画でなくコンボ動画だからどうとか一切関係なく。
スタディソサエティという「2つのS」の、後者をあまりにも蔑ろにしていたのは否めません。オンラインの活動にそこまで躍起になって取り組む必要があるのかどうかは別として。


少なくとも「自分の考える範囲での」面白い動画・良いデッキ、というものの姿はそれなりに浮かび上がってきてはいます。
ただそれを明確に評価されたことはあまりないのでまだまだ安心できずにいます。「いいね!くれ」っていうのでなく、独りよがりの危険性をまだまだ否定できないという意味です。


ところで去年考えていた「自分がこれまでに組んだ中で一番良いデッキは何だろうか?」という問い、今だったらどう答えられるのだろうか、と自問すると、やっぱり一年経っても自信をもってこれは良いデッキだと言えるものはパッと出てきません。候補が全く無いわけではないですが。
他人の意見を参考にしようにも、「良いデッキ」と言われたこと自体一度もありません。いやこれはマジで。
その程度のプレイヤーってことです。




遊戯王のブログというとデッキを紹介したりカードを考察したり対戦記録や大会結果を報告したりといった使われ方がなされるものですが、一丁前のことを言っているふうなブログほどだいたいつまらないものだと思っています。
なんというか、当然すぎること・見ればわかること・すでにある程度の評判が出回っていること、について、改まった・畏まった態度で堂々と書かれても、んなこと知っとるわ、で終わってしまって、それ以上の中身が含まれていなかったりする。
オリジナルでデッキを考えてそれを紹介する方のブログが割と楽しめるのは、内容の巧拙を問わず、その意味で「んなこと知っとるわ」が少ないからかなとも思います。これはニコ動に上がっているデュエル動画にも共通することであるというか、要はオリジナルの面白さというか。
トーナメントシーンや大会を意識した「普通の」ユーザーがブログ等で書くことのほうがかえって思考内容が少なくなってしまっているのは本来おかしいことだと思うのですが、現状どうにもそんな印象があります。何が言いたいかというと今後もし普通にガチ寄りの内容が書きたいなと思った時に参考にできるブログ様が手持ちにまだまだ少ないなあということ。


最近はむしろトーナメントシーンに興味があるのかもしれません。ADSレートもろくに潜ってませんし大会にも出ていませんけど。
先日のルールマスター検定あたりから少し意識が変わってきた感じはある。研修とやらは都合が付けば参加しようと思っています。
あとは単に実力不足を痛感したので。コンボとかデッキとかいう以前に遊戯王というカードゲームがまだまだ下手。で、地力をつけるには真剣勝負の場に臨むしかないとも思う。
その程度のプレイヤーということを自覚したからには、このまま引き下がっていられないと思ってしまう。弱い奴だからといって見下されるのもいい加減不快になってきたので。子供かよっていう話ですけどね。


しばらくは見に回ります。