悠久フィロソフィー

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覚え書き:「コンテンツ性と寿命」【ブログ開設日でした。】

4月8日がブログの開設日だと思っていて、念のため確認したら4月7日でした。私はもう駄目です。

 

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こういう日くらい理由を付けて何か書かないと、ということで

 

 

 

よく言っていることなのですが、自分のブログを、コンテンツとして認識していない節があります。

これは何も、どうでもいいことしか書いていないとか劣悪・低品質な内容であるとかいうわけではなく、そこまで人に見せることを前提としていない、有り体に言えば数字を気にしていないものとして捉えているよな、という程度の意味合いです。

昔、まだSNSが一般的でなく動画サイトもそこまで普及していなかったころ、つまり個人の発信能力が今と比較して随分未発達だったころ、このブログ(というよりも移管以前のヤフーブログ)を開始しました。それは「こんなことを書いたから見てくれ」という積極的な購読を促すものというよりは、「こんなページもあるのでよかったら」とアドレスを添え置く程度の消極的なものであり、当時から私はそれを「拠点の感覚」として持っていたように思います。自分の書きたいもの・記録したいデータを特に深く考えずに置いておく場所。

他の人が読んでも通用するように、とは文章を書くにあたって常々念頭に置くことですが、他の人に読んでもらうために、という感覚はついぞ持ったことが無いのではないか。正味、今となってもツイッターなどよりよほど気楽に物が言えるページなのではないかと思っています(というかツイッターのほうこそ無数の不特定に観測されると思うとそうそう発言に気を遣う)。

当時というのは手動でブックマークを『巡回』する時代です。更新頻度高く・良質な内容を書いているに越したことはありませんでしたが、「集客」という発想はあまりありませんでした。単に私がそういう性分であるだけという可能性はそれなりに高いとはいえ。

 

 

長く界隈を隅から眺めていると、こと遊戯王のブログというものは一時めっきり減少し、そして最近再び盛り上がってきているような様相に思えます。

減少した原因は言うまでも無くSNSの普及でしょう。というか私自身それでほとんど更新しなくなったしな ツイッターは元々「マイクロブログ」という呼ばれ方をされていたと記憶していますが、途中からすっかりブログのほうが「ちょっと長いツイッター」感覚に成り変わってしまいました。

そしてまた、近年になってブログライティングが盛り上がってきたのもまた、SNSによるものという認識があります。すなわち、記事の更新をTLに流し・拡散するという格好。

ここにあって、ブログのページにはコンテンツとして消費される属性が意識的に付与されたように思われます。それはもちろんやっていた人はずっと以前から独自にやっていたことです。人の目を意識して加工・推敲された文章はやはりある程度摂取しやすくなっていて、それが意識的に実施されるのは大事なことであるといえます。フィードバックが得られれば一種の成功体験にもなり得る。趣味に生きる者としてそういった面での充実があるのも重要でしょう。

 

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ただ、先の通りコンテンツとして自分のブログを捉えられていないので、私はそういった感覚に今一つ乗り切れていません。というのはむしろ逆で、そういった風潮に違和感を覚える原因を辿ったところ、もしや自分のブログというものをそこまで大層なものとして見ていないのではないか、と思い至ったというほうが正確でしょうか。

順応できていないというべきか、迎合できていないというべきか。

 

 

例えば公認大会で結果を出したレポだとか、新弾考察だとか、環境読みとか。そういうものとほとんど対極、自分がブログに書いてきた内容は概ね、特に汎用性に著しく欠けるものであると思っています。端的に言えば役に立ちません。どこで使えるのかわからないデッキレシピであるとか、要領を得ない覚え書きとか、何年も前のヘタクソな絵とか

それらはただ管理人たる自分にとってのみ何か必要や興があって書いたり残したりしているもので、”誰かの役に立てられるように”と明確に意識して書いたものというのはごく少数にとどまります。(例外はコンボ動画の解説とか)

 

ですが、そういった気楽な存在だからこそ、気負わず気取らず、のらりくらりと13年も経ってしまったのだろうなとも思うわけです。

 

ブログを、コンテンツ発信として精力的に取り組む方々には正直、頭が上がりません。私はそこまで一生懸命にはなれませんし、まずもって内容が充実させられたものでないです。人に見られても、の以前にある、人に見られるためには、という段階に未だに足を置けていない。

 

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ただ、RTの数や反応を気にしているばかりなのも、どこか生き急いでいるような見え方がしてしまうものです。もっと能天気に構えていても、これほど息を続けていられるのなら、ひとつそれはそれでということにならないでしょうか、と。これについてはお前ももっと気にしろというだけの話なのかもしれませんが。

 

 

冷静になってみれば、2008年の私は現在に至るまでこんなに長く遊戯王のことばかり考えているなんて思ってもみなかったはずです。いやどうだろうちょっとわからんかも

1人では続けるのが困難を極める対人カードゲームでここまで意識が持続するのも、ひとえに奇縁で繋がった数多の方々との関係によるものだと思います。これに関しては趣味活動の大前提ですので、ブログのアニバーサリー以上の遥かな高次の意味合いでもって、ありがたやありがたや。

惰性というならそれでも結構、今なお初期衝動が残っているというだけのことです。そんなもんがあったのかどうか知りませんけど。

 

せっかく乗り気になった遊びですから。細く長く。