悠久フィロソフィー

今ここから 改めますか

あらためも5: 「必要十分なんたら」

飲み会に行ったら何故か1.5リットルのジュースを2本もらって帰ってきました。あらためです。
昨日の続きというか補足というか似たような話題。当たり前のことしか書きません。
 
 


 
 
 
デッキを組もう・コンボを考えようというとき、
「1:カードから目的を探す場合」と「2:目的からカードを探す場合」
という2つのケースがあると思います。
 
 
「1」のケースは、そのカードから何ができるか、と考える場合です。
さしあたり《サイバー・ドラゴン》を例に考えます。
 
サイバー・ドラゴン
効果モンスター
星5/光属性/機械族/攻2100/守1600
相手フィールド上にモンスターが存在し、
自分フィールド上にモンスターが存在しない場合、
このカードは手札から特殊召喚できる。
 
この1枚から何ができるでしょうか。
 
「2100の打点でビートする」
「上級モンスターのアドバンス召喚のリリースにする」
「特定の融合モンスターの素材にする」
「チューナーを追加してシンクロ素材にする」
「☆5モンスターを追加してエクシーズ素材にする」
 
ざっとこのくらいは挙げられると思います。
 
 
これらは単にカードの「用途」でもあるわけですが、同時にカードを採用する「目的」にもなります。
「打点で殴る」「上級モンスターを出す」「融合・シンクロ・エクシーズする」と、どれも目指すところの「目的」です。
単純な話、ロックを仕掛けるデッキに打点目的でサイドラを入れたりはしないでしょう、といった話。
 
 
「2」のケースでは、逆に「こんなことがしたい」という要望や必要性からカードを採択・検索していくことになります。
例えば「光属性で召喚権を使わずに場に出すことができるモンスターが必要だ」という要望があったとしたら、どのようなカードが見つけられるでしょうか。
サイバー・ドラゴン》を筆頭に、類似効果だけでも《聖刻龍―トフェニドラゴン》《太陽風帆船》《フォトン・スラッシャー》《太陽の神官》《レベル・ウォリアー》《先史遺産クリスタル・ボーン》《セイクリッド・シェアト》などが挙げられます。
これらはそれぞれ「光属性で召喚権を使わずに場に出せる」以外の特徴・ステータス・効果をそれぞれ持っており、また異なる視点からどれを採用するかという基準を導きだしていくことになります。
 
 
そして中には、「1」のケースがそのまま「2」のケースに直結する場合があります。
例えば「《ブンボーグ001》の自己再生効果を使うためにはどのようなカードを使えるか」「召喚条件の複雑な《カオス・ゴッデス―混沌の女神》を出すにはどんなモンスターでシンクロすればよいだろうか」といった場合です。
例からもわかるように、これは私がADS動画を作る際によく用いる図式でもあります。
 
 
こうした2つのケースを考えることで何が意識されるか、というと、カード間の連関、ひいてはデッキにおけるカードの役割、といったものが見えてくるのではないでしょうか。
1枚のカードがそれぞれ、一方で要求を出し/他方では要求を満たし、そうやって連関し合い、そのようにして最低40枚を集めてデッキが作られます。
どんなカードであっても「何のために入れているのか」という理屈を背負わなくてはならない、それはデッキに用いられている以上はどんなカードであってもその理屈を見出すことができるからです。
 
 
汎用魔法罠カードであってさえ、「このデッキにとって致命的なアレを食らわないようにするために」といったような特定の要求の元に採用されうるのです。
むしろそういった要求も無しに単に便利使いするのは、かえってデッキの全体像をぼかしてしまうのではないでしょうか。
こういった考え方は、カジュアルレベルよりもむしろ、シーンの移り変わりを敏感に見極めなければならないトーナメント環境において、なおより顕著に表れるものです。
 
 
また、デッキ単位で見なくとも、コンボやシナジーを考えるミニマムな思考レベルであっても、この相互連関は意識しておくと色々と楽なのではないかなと思います。
行き詰った時、自分が今必要としているのは「目的のために必要なカード」なのか「目下のカードで目指したい目的」なのか、改めて問い直してみることは、もしかしたら有意義なのではないかな、と。
目的がはっきりしていると、カードの検索が楽になることはおよそ間違いがありません。体験談ですが。
 
 
個人的には、こうした連関の束がカード間でその都度強固かつ濃密であるほどスマートな動きになると考えています。
もちろん1枚のカードに仕事を与えすぎる=比重を置き過ぎるのも禁物なのですが、例えばこのカードはこういう場合にはこれと組み合わせてこういうことができるし、あれが来たらさらにこうなる、墓地にあれがあればこう、というような、噛み合う札・関連するカードが多いことは、シンプルにプレイの幅を広げることにもなり、その都度の判断の最適化を狙いやすくなるのではないかな、と。
 
 
使いたいカードを使うにしてもだいぶ色々アプローチが利く時代です。カードプールはここまで拡大・充実しました。
パレットに色が揃ったならば多彩に使って描きたいよね、という発想をする性格です。
どうせ色々できるのならば、自分らしいカード採択を、自分なりのロジックでしたほうが楽しいのではないかなー、と思います。
 
 

 
 
 
特に自分の場合、「○○というキャラをモチーフにデッキを作る」とかいうアホめいたことをやっていたりもするので、目的がブレないように、という意識はなるべく忘れないよう心がけていたりします。
この目的というやつがあまりゲームそのものから離れ過ぎてしまってもそれはそれでゲーム自体を成立させなくなってしまいかねないわけですが……
そこまで行ってこそ「ネタ」という割り切りが初めて言い訳として有効なのかなとも思いますが。
 
 
まだまだメモの域を出ない妄言なので、この手の話題については、もっと適切な言葉で表現できるようになったらまた取り扱ってみたいと思います。