悠久フィロソフィー

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D.D.外伝第二十三話

第二十三話 癖と提案
 
 
「は?」
 沙耶が不可解そうな声を出した。
「え……私?」
「お、お前は昨日の」
 はっ。
 という顔でもってして答矢は口をつぐんだ。言葉を切る。言いかけた言葉を断絶して、唇を結ぶ。
 だがもう遅すぎた。あまりにも遅すぎた。
「昨日の?」
「あ、いや」
「昨日の――何だっていうんだ?」
 竜也が鎖で縛られた答矢を見下ろして、きつい口調で問う。
 言いかけた言葉。
 言ってしまった――事実。
 昨日?
「昨日何があったって?」
 答矢の返答の代わりに、瀬木が英仁のほうを向いて聞いた。
「エージ」
「ん、何だ?」
「昨日の夕方、おれに電話したよな。ブラック・ティラノが出現した、とか」
「ああ。したな」
 正確には、英仁と沙耶の二人を見ながら。
 答矢の顔が少しずつ、強張っていく。
 何がまずいのか、その理由を、瀬木も、竜也も、ほとんど察していた。
 この時点で出揃っている情報。
 それを基にしてしまえば、結論までの道は簡単に出る。
「ちなみに、それに夢中になってはしゃいでたのがこの市田さん」
「ど……どーもー」
市田沙耶さん、ね」瀬木は眼鏡を軽くかけ直す。「はじめまして。おれは瀬木一」
「ふうん。瀬木くん、でいいの? 私2年生だけど」
「構わないよ。それで」
 瀬木の手が、部屋の壁に寄りかかっていた男を示す。
 つまり木本竜也である。
「あっちの無愛想で人間味の欠片もない野郎が木本竜也」
「おい待てコラ」
「はあ。なるほど、木本くん、ね」
「なるほどって……納得するな、そこ」
「よう竜也」英仁がしゃしゃり出てくる。「久し振り」
「ああ」
「それで、その女の子は?」
 彼が目を向けたのは――ここに来てはもはや言うまでもないことだが。
 遊部ルシナ。
 彼女は不意に自分が話題に上がったことに気づくと、英仁のほうを向いた。
「ひゃ、ひゃい? 私ですか?」
「う、うん、きみ」
「遊部ルシナっていいます。どぞ、よろしくです」
「あ、ああ。俺は浦上英仁、だ」
「浦上さんですね!」
「皆はエージって呼ぶけどな」
「あ、気にしないで下さい。苗字にさん付けで呼ぶのがクセなもので」
 ルシナはにこりとした。
 何かを誤魔化すように。
 何かを押し隠すように。
「にひにひ」
「……はあ」
「おいそこ」竜也がすかさず突っ込む。「そろそろ本題いいか?」
「ああ、待ってくださいよ木本君。まだ挨拶が終わってな」
「それは後でもいいよ」
 瀬木にしては重々しい声が響いた。
「今はもっと優先すべき共通項があるだろ? おれらには」
「はい? といいますと?」
「あのさ、瀬木」軽く尋ねたのは英仁。
「さっきから気になってんだけど……そいつ、何?」
 彼は床に転がっているそれを指した。
 全身を鎖で拘束され、ぞんざいに転がされた一人の青年。
 市田沙耶を見て叫んだ男。
 瀬木の開発した技術と同一のそれを持っていた人間。
 安城答矢。
 
 
「こいつ?」
 瀬木は一瞬笑った。
「昨日、エージと市田さんのコンビニを襲おうとした強盗だよ」
 
 
 答矢は何も言わなかった。
 テープはすでに剥がされていたが――何も、一言も発さなかった。
 ただ蒼白な表情を浮かべている。
「は」
「い」
「?」
 三人、声が揃った。
 英仁と、沙耶と、ルシナと。
「こいつが?」切り込んだのは英仁だった。「何を根拠に」
「証拠は三本柱だ」
 瀬木は右手を突き出し、さらに指を三本立てた。
 その一つを折る。
「まずひとつ。こいつは市田さんを見て絶叫した。つまり」
「私と――面識がある?」沙耶が呟く。「でも、私、知らないけど」
市田さんは知らなくてもこいつは知ってる。叫んだのがその証拠。そして市田さんが知らないというのがなおのことそれを決定付ける。つまりこいつは、市田さんと相互的な知り合いではなかった」
 一度答矢のほうをちらと見て、続ける。
「なら、一方的な――それでも『知った者』だったわけだ」
「じゃあ、どこで私を?」
「それが二個目」瀬木の指がもう一つ畳まれる。
市田さんと会うためには……違うな。知るためには、市田さんを見なければならない」
「そりゃそうだな」英仁が漏らす。
「だから、知ってるこいつが昨日の犯人だったってのか?」
「まあそんなところだね」
 瀬木の視線は、今度は沙耶に向かった。
 分かったような、分からないような顔をする彼女に。
「だって昨日、市田さんは喜んだそうじゃないか。電話口の感じからして、ね」
「あ、ああ」
 
 英仁は思い出す。
 凶悪なる狂獣を前に――少女のような態度で臨んだ沙耶のことを。
 
「そんな人、普通はいない」
「まあそうだな」
「そして普通でないということは、人の心に刻まれる」
 そうしてまた、瀬木の視線が床へと戻っていった。
 安城答矢の胸中を射すくめるかのごとく。
「それから最後の証拠として」
 瀬木は最後の指を曲げ、その手を白衣のポケットに突っ込んだ。
 ゆっくりと抜き出す腕には、一つの物体。
 それは、カード。
 
 
「こいつのデッキに『暗黒狂獣』が入ってたってことだな」
 
 
「なっ……あ!」
 青年の顔は驚きの色で埋まった。
 これまでの平静をかなぐり捨て、これまでの虚勢を引き剥がし――
「こ、この! テメェ! 何勝手に俺の――!」
 怒る。
 感情をあらわにして、答矢は声を上げていた。
「まあ、立体映像プログラムのついたディスクも一緒に持っていたんだ。つまり、お前はこのモンスターを召喚することができた」
「くっ……」
「そしてコンビニに現われたのもこのモンスター。コンビニにいた市田さんをお前は知っていた」
 瀬木の手がひらひらとカードを揺らす。
 危険な言葉でも吐くかのような態度で、ほくそ笑む。
「ついでに言ってしまえば――このディスクがおれの技術によるものであるってことも、考えてみればもう分かっていたことだったんだよな。お前はおれの名前を聞いて反応したからな」
 結論が出る。
 それはつまり、安城答矢が何をしたか。
 瀬木一の技術を使い。
 市田沙耶と、浦上英仁のいた店を襲おうとした。
 
「さあて、これでおよその証拠は揃った」
 瀬木が見下す。
 答矢を見下ろす。
「そろそろ――おれの質問に答えろよ」
 
 沈黙の帳が下りる。
 答矢は何も言わず、瀬木も何も言わず。
 竜也も、英仁も、沙耶も、何も言わず。
 誰もが口を閉じ、声を発さずにいた。
 次の展開が誰によって変えられるのか――誰にも分からない。
 
 
「……うざったいですね」
 
 
 その言葉は不意に宙を飛んだ。
 
「え?」
「お前――」
 
 瀬木と竜也が反応したが、構わずに声は続く。
 
 
「何が起きてるかよく分からないですけど――さっきから進まないんですよね」
 
 
 彼女はさっきから、渦巻いていた。
 事情が把握できずに、燻っていた。
 分からないこと。
 分かりにくいこと。
 白黒つかない、判然としないこと。
 そんなこと、つまらない。
 
 
「私たちは悪役、この人も悪役」
 
 
 遊部ルシナ。
 彼女は床に転がっている彼を指し示して、強く言った。
 
 
「だったら――直接勝負で白黒つければいいじゃないですか」
 
 
「へ?」
 すかしたような返事をしたのは、またもというか、英仁。
「直接勝負?」
「ええ。あれ、また使えばいいじゃないですか」
 あれ。
 ルシナの視線が動く。
 
「あの、立体映像の機械」
 
 すなわち。
 昨日竜也と瀬木がストラクチャー・デュエルをした場所。
 デュエル・スペース。
 
「戦えばいいんですよ、本気で」
 ルシナの目は爛々としていた。
 
 
「二人で勝負して勝者が敗者の罪を告発する――っていうのはどうですか?」
 
 
 その輝きは、美しくも伏せ気味の、落ち着いた光。
 彼女の大きな瞳が静かに笑っている。
 
「なるほど」
 瀬木が手を打った。
「だけど、誰がやるんだ?」
「そりゃあ、もちろん」
 ルシナの声は弾んでいた。
 裏腹に、凶悪なことを言いながら。
 
 
「木本君と安城さんで、一発勝負ですよ」
 
 
 提唱された決闘。
 開戦の瞬間は近付く。