第二話 目と態度
木本竜也の見た目は決して悪いものではない。
短く刈り上げたウルフテイスト、目立ちすぎない小さなピアス、洒落っ気のない簡素かつ地味な服装。
標準形、と本人は呼ぶ。
背も平均より高いくらい、腹が出ているわけでも、横幅が広いわけでもない、ごく普通な青年。
しかし彼には人が寄り付かない。
原因はその目と態度にある。
彼の目は鋭く、冷たく、淡々としている。
彼の態度は厳しく、簡潔で、非社交的だ。
冷血を突き詰めて、一人。
冷静を追い求めて、孤高。
そんな、人間。
「ところで」
「はい?」
「お前はいつまでついてくる気なんだ?」
大学の構内をとことこと歩く竜也の、その少し後ろを、遊部ルシナはひたひたと追尾し続けていた。
「いえ、別に、時間の許す限り」
「……」
ツッコミを入れたかったが、竜也にはいい比喩が思いつかなかった。
「ところで、逆に私が聞いちゃいますけど」ルシナは少し早足に竜也の前へと踊り出る。「木本君、これからどこに行くつもりなんですか?」
大学の構内は――とかく、広い。
目的もなしに歩を進めるなど、普通はできない。
「まあな。俺の知り合いに、話を聞きに行く」
「えっ」
ルシナが動きを止めた。竜也の目の前で固まり、微動だにしない。目をむき、口を開き、彼女の額に出てくる一筋の汗。
昼過ぎの温かい風が吹いて、日曜日の陽気であった。
「……何だ、その、ポーズは」
「まさか木本君に友人がいるなんて――」
「殺すぞ」
あっさりと言い切り、再び歩き出す竜也。もちろん、ルシナを置いていく。
「あ、ちょっと待ってくださいよー!」
無言で歩いていくその後姿を、ルシナは小走りに追いかけていく。
春の陽気であった。
「ナギシマ研究室? 聞いたことないですね」
その部屋の扉を見つめながら、ルシナがのんびりと言った。
無機質な乳白色のドア。その横にあるプレートに書かれていた名前が――名木嶋研究室。
「まあ、無理もないだろう。名木嶋教授はしばらく前からここにいない」
「はい?」
教授のいない――研究室。
成り立つはずのない構図。
成立しえないはずの様子。
「除去された。一人の、馬鹿に」
淡々と言う、その不可解な言葉。
ルシナは首をかしげる。
「教授を、除去? 教授を」
ぶつぶつと繰り返される単語。何かを思い出そうとしているのだろう、暗示をかけるかのごとく、呪文を作用させるかのごとく、ぶつぶつ、ぶつぶつ。
比例して高まる、竜也のイライラ。
「なんか聞いたことがあるような……」
聞くに堪えかねて、竜也は答えを出すことにした。
「思い出せないなら教えてやる。そいつの二つ名は『除教授』だ」
「除……あ、思い出し――」
ルシナがその名を思い返すよりも早く、竜也がその扉を開きながら言った。
「瀬木、いるか? 入るぞ」
その中は惨憺たる光景だった。
薄暗い部屋。蛍光灯がちかちかしていて、いくつかはすでに消えている。広い。かなり広い部屋だが明度が低く奥がよく見えない。その先は奈落か地獄か。そんな感覚。床にはケーブル。縦横無尽にツタのごとく蔓延している、線、線、線。さらに機械。いくつもの画面、パネル、モニター、コンピューターにプロジェクター、その他諸々。そして本。本。壁を埋め尽くす本棚だけにとどまらず、床のありとあらゆる場所で山と積まれた本。棚に入っているものもあれば直接平積みになっているものもある。厚いものもあれば薄いものもある。まるで木々。まるで樹海。まるで森林。
そう、さながら、森の中。
「な……何ですかこれは」
一人驚愕に表情を固めたルシナをよそ目に、勝手知ったる他人の部屋、とでも言わんばかりに、竜也はのこのことオブジェクトを超えていく。
「瀬木? いないのか?」
応答なし。
「あ、あの、木本君……」
「お前、足元気をつけろ」
振り向かずにそう言った。
「は、はい?」
「足元。何が転がってるか分からないから、注意しろ」
ルシナには一瞬、世界が止まって見えた。
木本竜也――ひどくクール、『冷血漢』と呼ばれるような人間。
だけれど、他人の身を案じるようなことを言った。
足元注意。
「あ――」
他人を、心配できるじゃん。
普通の人じゃないか。
安心にも似た、感心のような、確信。この人は、確かに冷めていて、冷たいけれど、目が怖いけど、態度が恐ろしいけれど、だけど、ちゃんとした人だ。
人間だ。
竜也はずんずんと前進していく。
その背中に、一抹の頼もしささえ、感じさせながら。
「――木本君……」
私、誤解していたかもしれませんね。
そう言おうとして、一歩踏み出した時だった。
むぎゅ。
ヒールに違和感。
「はい?」
足元注意――言われたばかりではあったが。
「今、何か……踏みましたよ」
ぼそっと言ったが、竜也は聞いていない様子で、さっさと奥に進む。
ルシナはそっと、足を上げた。何か踏んだ。
少し反発感がある、何か。
床に転がっている、何か。
硬さがあまりない、何か。
サイズが大きめな、何か。
温度を感じさせる、何か。
機械の樹海の中の、何か。
「…………」
そっとしゃがんでみる。薄い暗闇の中で、その何かに向けて、手を伸ばしてみる。
それは簡単な興味だった。
それは単純な好奇だった。
それは純粋な関心だった。
「…………」
距離感がつかめない。
あと、どのくらい? 少しずつ、手を伸ばしていく。
「窓は――ここか」
竜也はカーテンをつかむと、何の躊躇もなく一気にそれを開いた。
光が差し込む。
視界が開ける。
明かり。
太陽の光。
照らされる、何か。
暴かれる――何か。
「……え」
違う。
何かではない。
遊部ルシナが、それに触っていた。
「は、はひいっ!?」
ルシナは素っ頓狂な声を出した。
それは何か、ではなく。
誰か、だった。
「にゃ……」
機械と本の森の中に寝転がっていたのは、一人の女性だった。