悠久フィロソフィー

今ここから 改めますか

強いカード、弱いカード

そんなの人の勝手(震え声)
 
 
最近1枚のカードに対して強い/弱いを語ることの短絡さといいますか思慮の浅さといいますか幼稚さといいますかそういったものにどうにも違和感もしくは不快感を覚えることがあり、特に「弱い」はまだしも「強い」という評価の仕方(件の《ラヴァルバル・チェイン》の代名詞的煽り等)がどうにも気に食わないように思えてしまいます。
 
 
例えば【魔導】【征竜】等の強力デッキタイプなり《エフェクト・ヴェーラー》《神の警告》等の汎用妨害札であったり《暗黒界の龍神 グラファ》《マシンアーズ・フォートレス》等各種テーマのパワーカードであったりするようなものに対し、ただ思考停止的に「強いもの」として嫌悪ないし即断してしまうことは偏見というかこじつけを用いてまで妙なバイアスかけて特別視しているような印象を受ける。
 
 
「持たざる者の怨恨」という話がありますが遊戯王もカードゲームである以上所有/非所有の限界が生じるのは当然であって、そこが所謂資産ゲーなどと揶揄されたりもするような短所でもあるわけですが、それを理由として高価なもの強力なものを「手が届かないから」嫌い非難し突き放すようなことがあるならそれはただの「すっぱいブドウ」。
 
 
しかし一方でその逆に「高価だから強い」「強いから勝つ」などという単純な理屈がまかり通るほどカードゲームは甘くないようにも思え、何か価格・需要の数値に応じて信仰度合いが決まるような宗教的価値観の持ち合わせというのもおかしな話であるといいますか気持ちが悪いといいますかあなたは本当にそれを強いと思っているのですかと。
 
 
もちろん大半の方には実際にフリー対戦やネット対戦や大会や身内対戦や自分でそのカード/デッキを使用してみた感触として「これは明らかにゲームバランスを崩すほどの性能を持っている」と実感したことが多いのであろうとは思うのですが、正直そこでああはいはいこれ強い強いと適当になったりその他雑多なものをはいはい雑魚雑魚と見下したりするような態度がどうにも気になる。
 
 
結局それはプレイを楽しむのではなく機械的に勝利し優越することしか見ていないという意味なのだろうなと思う。
 
 
そういう人は壁に向かってデュエルしていればいいと思う。
 
 
貴重な80枠の無駄遣いとかアニメ出身の産廃とかそういう残念な評価をされるカードが出てくることを擁護するわけでこそありませんが、非理性的というか、よくある「手のひら返し」現象をもたらすような短絡さから判断を下すあの感じがやっぱり嫌いです。
パック買って無駄なもの出たらお金の無駄とか言っちゃう人はカードゲームに向いていないと思います。
例の「TUEEEE」という言葉をジョークやギャグでなく諦念や侮蔑や嫌悪の意味で(本気で)言っているプレイヤーは本当に遊戯王やってて楽しいの?株式でもやったら?
 
 
そういうわけだからなのか私は『遊戯王戦略Wiki』が大の苦手です。
あそこってガチデッカスかファンデッカスしかいないイメージ。
ついでに何が高騰しているとかいう情報やら○○買っとけ!みたいな煽りやら【激安!】みたいなネットショップのコピーも嫌い。
そのため一部のまとめサイトもまた苦手です。なんていうか頭悪い。
 
 
安いカードの値段を探しショップを渡り歩くような吝嗇家が何偉そうに言ってんの?という話ですが、自分の考えたこと、思いついたこと、ネタであるとか発想、そういったものを自分で作り出すのに妙な方向・俗っぽい分野から干渉されたくないといえばよいでしょうか。
 
 
ほとんど余談ですがカード1枚だけで勝負しているわけではない、最低でも40枚揃えなくてはスタートラインにすら立てない、実際にプレイする時でも単体1枚で機能するカードなんてありえない、それがリアルに触れられるカードゲームの特徴もしくは定義であると思います。ダークダイブボンバーだってマキュラだってそれ1枚だけではおよそあれほど凶悪にはならなかった、神判があれらに並ぶというのは私怨としか思えない(強力なのは認めますが)。
例外はゴーズとか八汰烏とか? ですがあれらは活かすも殺すも完全にプレイングです。
よくあるソーシャルゲーム(やったことないので偏見ですが)にある「カードゲーム」という触れ込みに違和感を覚えるのはきっとそのへんが原因。
 
 
珍しく愚痴でした。深夜テンションなので異論は認める。