悠久フィロソフィー

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D.D.外伝第十七話

第十七話 影と怒号
 
 
 光は収束していった。
 安城答矢と喜街施行、二人が腕を下ろすと、また路地裏に影が差し込む。
「お疲れさん」施行が笑った。
「んじゃ、気分もよくなったし俺帰るわ」
「……」
 ひたひたと――喜街施行。ゆったりとした足取りで、その場から去っていく。
 勝利の余韻に浸るでもなく。
 勝利の感覚に酔うでもなく。
 何事もなかったかのように、彼は答矢の前から姿を消した。
「ふう……」
 答矢は嘆息して、右手に視線を落とす。
「また勝てなかったか……やっぱ強いな、あいつは」
 回想する、たった今決着した勝負を。
 どれほど善戦しても、どれだけ抵抗しても、無駄。
 力の喜街。
 やはり――力にものを言わせれば、別格だ。
「まあいい」
 
 答矢は。
 安城答矢は、油断していた。
 喜街施行との勝負に精神を集中させていて、気がつかなかった。
 心構えがなっていなかった。
 心に余裕がなくなっていた。
 刺激に弱くもろい状態だった。
 影の中に紛れることもせず、月の光に照らされたまま、呆然と立っていて。
 なお。
 それをよしとしてしまっていた。
 何が来ることも想定せずに。
 何に襲われることも考えずに。
 どこまでも無心状態だった。
 そのために無防備だった。
 それは無謀すぎた。
 その安心は彼にとって邪魔をしすぎた。
 
「目的は達せ」
 
 彼は迫り来る二つの影に気がついた。
 今更、気付いた。
 
 
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「うにゃぁああああああああああああああああああああああああああああ!」
 
 
 怒号を伴って、木本竜也と遊部ルシナが突撃してくるところだった。
 
 
「うぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああ!」
 
 
 答矢はできるだけ大声を出したが、周囲には誰もいなかった。
 
 
 
 
「まったく、てこずらせやがりましたね」
 ルシナは手をぱんぱんとはたいて、思わせぶりに言った。
「って言うとなんか悪役みたいですよねー」
「知らん」
「私たち悪役ですねー」
「知らん」
「悪いですねー」
「知らん」
「でもかわいい悪役だと思いません?」
「黙れ」
 竜也とルシナの目の前には一人の男が倒れていた。
 言うまでもなく、安城答矢である。
「さーて」
 月の明かりが強さを帯びてきていた。
 それはあるいは、周囲の闇がその濃さを増してきたということなのかもしれない。
 ルシナの顔に影が差す。
 
「じゃ、拉致りますか」
 
 本当に悪役みたいだな、と竜也は一瞬思った。
 
 
 
 
 それは春の日の出来事。
 その日は実に多くのことがあった。
 遊部ルシナが木本竜也に依頼し。
 本の海で日野辺むとのを捜索し。
 瀬木一が竜也と勝負して敗北し。
 市田沙耶が暗黒恐獣へと欲情し。
 安城答矢には喜街施行が圧倒し。
 本の山。駐車場。標準形。
 安い飯。路地裏。研究室。
 春の風。夜の風。奔放風。
 長い長い物語の一日目は、こうして終わる。
 
 
 
 
 
「終わるわけ、ねえだろ」
 
 
 夜も遅く。
 彼は――壁にもたれかかりながら言った。
 
「まだ終わってない。なあ。お前だってそうだろ?」
 
 彼――喜街施行は返事を求める。
 その視線の先にいる、一人の女性に向けて。
 
「何を言いに来たかと思えば、施行くん」
 
 声を出したのはひどく小柄な少女だった。
 上下ともに汚れたツナギを着た、小さな女の子、そう見える女性。
 しかし大学生である。
 茶色いボブに、カチューシャ代わりに髪留めとしている丸い眼鏡。
 
「まだ足りてなかったの?」
「あんたと違って、人脈薄いんでね」
 
 彼女は読んでいた分厚い本を本棚に戻そうとする。しかしその本があるべき場所は高く、彼女は精一杯背伸びをしてもなんとか届かない。
 施行はひたひたと少女に忍び寄った。
 
「貸せよ。入れてやる」
「あ、ありがとね」
 
 ひょい、と彼女の小さな手からその本を引き抜くと、施行はさっと、それを本棚の隙間に入れた。
 ただし、上下逆向きに。
 
「…………」
「ん、どうした?」
 
 少女の背では届かない高さの本。
 遥かな高いところで逆向きになっている本。
 にやけ顔で満面の笑みを浮かべる喜街施行。少女の肩が、小刻みにわなわなと震える。
 彼女は目を光らせながらきつい口調で問うた。
「施行くん?」
「あ?」
「あんな場所にあんな風に置かれると、ウチ、困るんですけど」
「あっそう」
「あっそう、じゃない! 何よ、ウチの背の低さ馬鹿にしてるわけ!? 何がしたいのよ!」
 彼の返事はひどくあっさりとしていた。
 
「千種、勝負しろよ」
 
「?」
「あんたが勝ったら、直してやるよ」
 
 施行は右手を突き出した。
 その腕に、何かの機械が取り付けられていた。
 
「ああ、デュエル?」
「そういうことさ」
「ふうん。きみ、どうしてもウチと決闘したいんだ」
 
 千種と呼ばれた彼女も、施行と間隔を置いて対峙する。
 向き合う二人の距離に、何か、通常と異なる種類の空気が発生しているようだった。
 少女――千種は、
 
「その勝負買った! ウチを馬鹿にしたこと後悔させてやる!」
 
 吠えた。
 
 
『デュエル!』
 
 
 施行LP:8000
 千種LP:8000
 
 
「俺の先攻だ、ドロー!」
 
 施行は手札をちらと見て、即座にカードを出す。
 
「ジェインを攻撃表示で召喚する」
 
 現れるのは、輝かしい武装を施された光の戦士。
 ライトロード・パラディン
 千種は露骨に怪訝そうな顔をした。
 
「うげー、またそのデッキですか」
「いいじゃねえか。ジェインの効果でデッキからカードを2枚捨て、ターンエンド」
 
 強大な能力と引き換えに、自分の山札を犠牲にしていくライトロード。
 施行のデッキが、早々に削られていく。
 
「だが」施行の顔に笑顔が宿る。
「今墓地に落ちたのはライコウ、ライラ……ついてるぜ」
「裁きの龍、か」
 
 墓地のライトロードが4種類を越えてくると現れる化物――裁きの龍。
 場のジェインが墓地に送られただけで、4分の3、条件は整う。
 施行にしてみれば、上等な滑り出し。
 
「まあ」千種はふうと嘆息した。
「あ? 何だ?」
 
「勝つからいいんだけどね。ドロー」
 
 少女は一度だけ笑って、そして、カードを手にした。
 
「ウチはローンファイア・ブロッサムを召喚!」
 
 出現する――というよりも、生えてくる。
 炎にまみれた植物の種子、それは貧弱ながらも、大成の可能性を秘めた粒。
 
「げ」
「ローンファイアの効果を発動、植物族モンスターを生け贄に、デッキから植物族モンスターを特殊召喚できる!」
 
 種子のもたらす趣旨。
 それはすなわち、繁殖ということ。
 どうしようもない繁殖ということ――
 
「行くよ! ウチは今召喚したローンファイア・ブロッサムを生け贄にして、デッキからもう1体のローンファイア・ブロッサムを特殊召喚する!」
 
 火の種子は姿を変え、膨らみ、中からまた、種を作り出した。
 
「ち、ここから植物族のラッシュかよ」
 施行が毒づく。
「ったく面倒なデッキだ――」
「ううん、大丈夫、安心して」
 
 千種はにこりと屈託なく笑った。
 純粋な、子供のような笑顔で言った。
 
 
「このターンで終わらすからさあ」
 
 
「あ?」
「速攻魔法、地獄の暴走召喚発動!」
 
 地獄の暴走召喚。
 モンスターが特殊召喚された時、その悪夢を始める。
 
「ウチが特殊召喚したのは攻撃力500のローンファイア。施行くんの場にはジェインがいるし、問題ないよね」
「? ああ」
「よーし、みんな出て来い!」
 
 突如、千種の目の前の床が突き破られ、種子の数が3体に増えた。
 デッキから、墓地から――あらゆる場所から呼び出されるモンスター。
「くっ……」
 しかしそれは施行も同じこと。
 
「ほらほら、早くジェインを出しなよ」
「おうよ」
 
 施行はデッキから、さらに2体の剣士を場に出した。
 3体の植物と3体の剣士。それらすべてが同じ姿、なかなかに異様な光景だった。
 施行は悟る。
 
 あ、負けたかもコレ――
 
 
「で、全部のローンファイア・ブロッサムの効果を発動!」
 
 
 3体のローンファイア・ブロッサムが全て――破裂した。
 一瞬、閃光に包まれる室内。花火のような爆発音。
「まさか――」
 施行は己の予感が正しかったことを知る。
 煙の向こうに見えたのは、さらなる植物。
 最強の植物。
 
 
「椿姫ティタニアルを3体特殊召喚する!」
 
 
 花。花の、女王。
 その攻撃力、2800にも上る。
 植物を統治する超大物が、しかも――3体。
 
「マジかよ……だが俺の場にはジェインがいる。まだ終わらないぜ」
「ん、そうだね。オネストも怖いし」
 
 直後、突然叩き落された雷撃が施行の場を黒コゲにした。
 
「ライボル使っとくわ」
「……」
「さらに、手札コストにしたダンディライオンの効果でトークン2体生成ね」
 
 ふわふわと、硝煙の中を綿毛トークンが舞い降りてくる。
 1ターンにして、千種のフィールドはモンスターで埋めつくされた。
 対して――
 
「ち……やってくれるぜ」
 
 施行の場はもはや、がら空きだった。
 伏せカードもモンスターもない。
 千種はふっとはにかんで、高らかに言った。
 
 
「バトルフェイズ、ティタニアル3体でダイレクトアタック!」
 
 
 一瞬の容赦もなく、刹那の躊躇もなく。
 気高き女王は総攻撃でもって、喜街施行を攻撃した。
 
「ぐおおっ!」
 
 
 施行LP:0
 
 
 公言通り。
 少女は彼のライフポイントを削りきった。
 
 
「施行くん」
「……あ?」
「ちゃんと本、戻しておいてよ」
 
 
 一日は終わっていく。