悠久フィロソフィー

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D.D.外伝第十二話

第十二話 噂と会話
 
 
「はあ」
 瀬木がデュエル・スペースの電源を落としながら呟いた。
「負けたかぁ」
「ほらよ」
 竜也は使ったデッキを返して、台を降りる。
 
「あれで……勝ち、なんですか」
 
 ルシナがおどおどと声をかけた。
「あ?」
「木本君、勝ったんですよね?」
「見れば分かるだろ」
 ルシナの顔が輝いた。
 安堵というか――安心というか。
 それは確定したことに対しての喜び。
 
「じ――じゃあ、これで噂が本当か分かるんですね!」
「その前身中の前身だけどな」
 
 噂。
 思えば昼に、遊部ルシナの突発的な提案から始まった今回の一件。
 怪物の犯行と、竜也が読んだ、その裏に存在する人間の意図。
 解き明かすための第一歩が、この、瀬木一に対するコンタクトだった。
 
「瀬木」
 
 カウンターの下にデッキを格納した白衣の男は、かけられた声を見上げた。
 その顔はもう、先ほどと同じ微笑を浮かべている。
『除教授』、瀬木一。
 勝負に敗北したからといって、それがいつまでも落ち込む原因には到底なりえない。
 
「約束通り、俺の話を聞いてもらう」
 
 公約。
 誓約。
 勝ったほうの用件を聞くこと。
 
「ああ――分かってるよ」
 
 むとのが部屋の奥からパイプ椅子と机を引っ張り出してきて、四人はそれに座した。
 語り始め。
 まだ昼時だった。
 
 
 
 
 
 
 
「へえ、つまりはそのモンスター事件の解決をおれに手伝ってほしい、と」
「いや……手伝いまではいらない。ただ、何かあったら教えてもらいたい」
 
 事の全てを話しても、まだ、日が沈む前だった。
 もっとも――事の全て、と形容できるほど、竜也も事態を知っているわけではないのだが。
「リューヤはそれを、どこで聞いたんだ?」
「あ? 今日の昼、こいつから」
 すぐ横にいたルシナを小突く。
「いたっ」
「こいつがいきなり出てきて、妙なこと言いやがるから」
「妙なこと?」
 瀬木は身を乗り出して、その言葉に食いつく。
『冷血漢』――木本竜也をして、『妙なこと』と言わせるその内容に、彼は興味が持てた。
「何のことなんだ?」
 
「近江大器」
 
 竜也の声は調子を変えてはいないが、どこか荒っぽくなったようなものになっていた。
 口の端に苛立ちを含ませるように。
 頭の隅に腹立たしさを含むように。
 ルシナはその顔を、怪訝そうに横から眺めていた。
 
「なるほどね」笑う白衣眼鏡。「道理で」
「こいつが、その話を近江に教えろ、とか言うからな」
「あの、木本君」
 言葉を切って、ルシナが会話に入り込む。
「何だ」
「さっきから思ってたんですけどね」
 睨む。
 振り向かれながら。
 
「『こいつ』って呼ぶの、やめてくれませんかね?」
 
 竜也が見たその顔は、前面に不服さを露呈した少女のようなものだった。
 頬を膨らませて、眉を吊り上げて。
「……」
「私には、遊部ルシナ、っていう名前があるんです」
「……」
「私と木本君の仲じゃないですかぁ。冷たいんですから、まったくもう」
 
 一方的に続いていく、会話。
 かみ合いなどしない、対話。
 一方的に流れていく、講話。
 見合いなどつかない、挿話。
 
「っていうか」瀬木が話を遮った。
 
「二人ってどういう関係なの?」
 
 
 沈黙。
 
 
「……」
「……」
 
「あ、もしかしておれ、何かまずいこと聞いた……?」
 瀬木、恐る恐る。
「あの」
 
 
「別に。ただの知り合いだ」
「いえ。単なる知り合いです」
 
 
 二人の声が揃っていた。
 始まりから終わりまで。
 開始から――終了まで。
 その声を合わせていた。
 
「……ああ、そう。ならいいけど」
 溜息をついて瀬木は引き下がる。ずれた眼鏡を直しながら続けた。
 見知った木本竜也と。
 見知らぬ遊部ルシナと。
 その二人の接点を探すように。
 
「話を戻そう。つまり、遊部さんは何でもいいからその噂を知りたい、と」
「はい」
「それでリューヤは、近江に頼むくらいなら自分がやってやる、と」
「ああ」
「だけど意味が分からないからとりあえず情報収集から始めよう、と」
「ああ」
「それでおれらの部屋に来た、と」
「……」
 
 むとのだけが黙って、その話の流れを見ていた。
 一歩間違えれば混乱しそうな物語を。
 道を踏み外せば錯乱しそうな物語を。
 
 言いたいことも、言わず。
 
 
「それじゃあ、結論だけ言おう」
 瀬木の眼鏡が光る。
 ルシナが固唾を呑み、竜也は黙する。
 
 
「残念だが、おれは何も知らない」
 
 
「……そうか」
 瀬木は立ち上がり、正面に座る来訪者を眺めた。
「悪かったな、お二人さん」
「いや、こっちこそ、急に押しかけて悪かった」
「ありがとぉございましたぁ」
 そのまま、二人も立ち上がる。
 つられて、日野辺むとのも立つ。
 
「どうする?」瀬木が聞いた。「もう用がないなら、帰るか?」
「……一つ聞かせろ、瀬木」
 
 差し込む光は夕暮れの色をかすかに含んでいた。
 そよ風が入り込んで、春の心地。
「さっきの勝負」
 そんな中でひどくそぐわない、冷たい声。
 
「お前が勝ったら、何を話すつもりだったんだ」
 
「あ――」
 ルシナが気付いて、声を上げた。
 公約。
 制約。
 勝ったほうの用件を聞くこと。
 
 じゃあ――瀬木の『用件』は?
 
「俺がお前に話を聞きに来たのには根拠がある」
「ほう」挑発的な返答。
 竜也は冷たく続ける。

「あのソリッド・ビジョンだ」
 
 部屋の一角にある、デュエル・スペース。
 つい先ほど、瀬木と竜也が勝負をして――決着した場所。
 ソリッド・ビジョン。
 光学投影装置。
 立体映像。
 実体化。
 
 モンスター。
 
「お前――」
 
 
「もういいだろ、リューヤ」
 
 
 瀬木が笑っていた。
 それはそれまでと違う――竜也に敗北した時よりもなお沈んだ、疲れたような苦笑い。
 
「おれは負けたんだ。何を言うこともない」
「……」
「そういう前提だろ?」
 
 勝たなければ――勝ったことにならず。
 負けたならば――負けでしかない。
 その単純な二元論。
 
「……分かった。お前がそう言うなら、そう掘り下げはしない」
「助かるよ」
「ただし」
 
 竜也は人差し指を突き出して瀬木の顔を示した。
 部屋にいた人間の視線が、そこに集中する。
 
「何かあったら絶対に俺に伝えろ」
「……」
「絶対に、だ」
 
 その冷たさに隠された感情を――誰も知らない。
 その意図を。
 その意味を。
『除教授』、瀬木一は、微笑を回復して答える。
 
 
「ああ、分かった」
 
 
 
 茶番はここまでだった。
 因果は整い、崩落が開始する。