悠久フィロソフィー

今ここから 改めますか

覚え書き「不文律を明文化する」

のが苦手、という話。

 

 

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暗黙の了解は、わざわざそれを規定するまでもないことであるから、もしくは規定することによって細かなニュアンスのぶれを捉えられなくなるから、まさに暗黙の了解にとどまっているのであって、それならそれで良いのでは、と放っておいてしまいがちになる。

定まっていないからこそ融通が利く・柔軟に対応できる意味があるならそのほうが気楽で、もしくは逆に、これはこう、と言い切ること自体に今日日角が立つ側面がありそうな気配もするし、そもそもそうやって無責任にずばり言い切れるだけの自信からしてまず、ない。

一方で自分の信条やスタンスのようなものがあるなら、何かの場を設けてある程度明確にすることも大事であろうとも思う。臨機応変を謳っているつもりで、実のところ、単に芯が通っていない・軸がぶれているだけである、ということもままある。ことにネット上なりどこかの壇上で表現者として振る舞うならば発信者個人の把握に関わる。同調や賛同を得るまで至らずとも、何かの視点を与え、顧みるきっかけとなることは充分に考えられる。

 

 

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そういうわけで、自分が動画とかデッキとか作る時の最低限くらいは意識していることを書いてみようというコーナーです。

 

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・「安直さに抵抗する」

この手の性質についてよく言われるのは「新規性を大事にする」とかそういう類いだと思います。オリジナリティとか。それはそうなんでしょうけども、正直そこまで言ってしまうと過度に肩身が狭いというか、ハードルが無闇に上がるというか、本来必要のない部分で厳格化して余計な負担になるのではないかと。

そういう方向の発想で程度を和らげた言い方が「安直さへの抵抗」になるのかなというところです。

安直、というのは色々な面で・個人の尺度で現れます。ゆえに「ここでいう安直とは例えばこういうことだ」といくら言及しても個人の感想を挙げ続ける以上の意味がありません(例えば私は「枠が空いたから」入れるうららだとか「ライフを取れるから」使うヴァレルソードなどについては「安直だなあ」という印象を持ちます、ですが結局それは私の中で完結するただの感想です)。ただ、各人が各人の恣意的な基準をバラバラに持っているとはいえ、同じようなシーン(ここでは特にカジュアル界隈の遊戯王)を共有している以上は、その中の公倍数的なラインは引けるのではないかということで。

また、これは「第一線を避け続けた結果、次点以降に列するものに結局依存する」というデッカス思考事態も併せて回避しておきたい、という意味でもあります。マイナーな札ばかり使っていれば良いかと言われるとそうでもないのかなと。

大事なのはあくまでも「抵抗する」だけで、「拒絶する」には至らせないことだと思います。その必要が本当にあるならダークロウだろうが超雷龍だろうが禁止されていないカードは全部採用圏内なのであって、極力そこに手を伸ばすのを勿体ぶるようにしようというだけのことで。

もちろん、特定の札を『個人的禁止』として事前にBANするのは個人の勝手です。

 

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・「主張を明確にする」

というのは、「主張を持つ」ということと「それを明確にする」ことの二点から成ります。

「主張を持つ」とは「そのデッキで・そのルートや組み合わせで、何ができるか・したいか」という最低限の題目を用意するという感じ。これに関しては取り組みを始めた時点で既に得られている場合がほとんどだと思いますので、概ね問題はないだろうとは。

それを「明確にする」というのがおそらくは肝心で、意識していないとできないことだと捉えています。『余計なノイズを入れない』というほうが正しいのかもしれません。

これは特にデッキに触る性能が飛躍的に上昇し、枚数が著しく増加した9期以降に、デッキ内に本来の趣旨とは数段ずれた階層でしか使えないカードが入っている例をよく見かけたあたりから意識するようになりました。「勝ち筋を増やす」と言えば聞こえは良いです。しかし企画として成功しているかというと怪しい。

言ってみれば「簡便なキャプションがつけられるかどうか」なのかとも思います。デッキ紹介をするツイートなどはTLに日々無数に見られますが、「このデッキはこういうことをするものです」と端的に言い表せているかどうかは、内容との照会込みでかなり印象を左右するはずです。言い換えれば何かそういうレベルで核や芯になるものが伝わらないといけない。

また、ことコンボ動画については尺を調整する中で不必要な情報が入ってくると本来の趣旨が霞む要因になるとし、注意するようにしています。

 

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・「現実離れするが、現実から離れすぎない」

前者は言い換えるなら「性能の度外視」です。つまりは安定性とか威力とか、要するに「強さ」とか。それは対戦ゲームである以上当然無視できない要素ですが、勝ち負けが絶対的にモノを言うシーンでないならばこの際最優先事項からは外します。

それで負けて困るのは自分で、その自分が良いと言うなら構わないはずです。

性能を求め始めると例えば、キリが無い、のに、選択肢が極端に狭まる、という葛藤が発生し、それはそれでゲームとしての間違い無い魅力なのですが、自分のやろうとしていることにおいては障害でしかありません。「まずは」無視します。

ただし、それだけの大胆な割り切りに見合うだけのことをしようという気概が大前提です。

よって後者を「ご都合主義に陥らない」意味合いで同時に掲げます。制限カード前提だったり、サーチもそうそうできないものが複数枚絡んでいたりする眉唾な話については、あまり甘やかしすぎないようにしたいと考えています。

 

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とりあえず3項目並べればそれっぽく見えるのでこのくらいで。

考えていることは色々ありますが、本質的なところまで解像度を下げるとこういう程度の話になるのかなという感じです。

最近やっている日刊構築などと並べてみるとなんとなく伝わるのでないかなーと思いますが、細かい解釈は各人にお任せします。

 

 

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今年全くブログ書いてなかったので、師走くらいはちょいちょい手をつけていきたい所存です。